湖の規模と消失
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/24 23:24 UTC 版)
イギリスの詩人ロバート・グレーヴス(1895年 - 1985年)は、かつてトリートーニス湖は数千平方マイルにわたってリビュア低地を覆い、北に延びてシルテ西湾(ガベス湾)につながっていたと想定している。紀元前6世紀末から前5世紀初頭にかけての地誌記述家スキュラクス(英語版)は、これを「トリートーニス湾」と名付けていた。新石器時代には、アトランティス人たちの国々を沈めた巨大な内海だったともいう。 グレーヴスは、スキュラクスのころにはまだ900平方マイルの広さがあった湖は、現在では干上がってしまい、わずかにジェリド湖(現在のチュニジア)とメルリール湖(現在のアルジェリア北東部)という2つの塩沢が残っているのみとする。 また、湖の消失について、紀元前1世紀の歴史家シケリアのディオドロスは、度重なる地震がこの地を襲い、その結果として、海沿いのリビアの地域はトリートーニス湖を呑み込み、湖はついにその姿を消したと述べている。グレーヴスはこれについて、ディオドロスの時代には湖は存在していたのであり、正しくは「地中海西部に起きた度重なる地震の結果として、海がリビュアの一部分を呑み込み、トリートーニス湖を作り出した」と推測している。
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