淺羽金三郎とは? わかりやすく解説

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浅羽金三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/22 17:42 UTC 版)

浅羽 あさば 金三郎 きんざぶろう
生誕 1861年11月20日
日本静岡県
死没 (1904-09-18) 1904年9月18日(42歳没)
所属組織  大日本帝国海軍
軍歴 1874年 - 1904年
最終階級 海軍大佐
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浅羽 金三郎(あさば きんざぶろう、1861年11月20日文久元年10月18日[1] - 1904年明治37年〉9月18日)は、静岡県出身の大日本帝国海軍軍人

経歴

浅羽幸勝の次男で、1874年7月に海軍兵学校幼年科へ入学した。1883年10月に海軍兵学校(10期)を卒業後、海軍少尉試補を命ぜられ、その後に累進して海軍中佐まで昇進する。1904年日露戦争が勃発すると、「平遠」の艦長として第二軍の上陸援護、旅順港閉塞作戦などの任務に当たる。同年9月18日に特別任務を帯びて出勤中、双島湾外で「平遠」が触雷・沈没し、戦死した。1911年、戦功によって海軍大佐に昇進し、功三級に叙せられる。

栄典・授章・授賞

位階


勲章等

脚注

出典

  1. ^ 『海軍兵学校出身者戦死者芳影録』88頁
  2. ^ 『官報』第931号「叙任」1886年8月7日。
  3. ^ 『官報』第2541号「叙任及辞令」1891年12月17日。
  4. ^ 『官報』第4096号「叙任及辞令」1897年3月2日。
  5. ^ 『官報』第4689号「叙任及辞令」1899年2月21日。
  6. ^ 『官報』第6214号「叙任及辞令」1904年3月23日。
  7. ^ 『官報』第7049号「叙任及辞令」1906年12月26日。
  8. ^ 『官報』第3430号「叙任及辞令」1894年12月3日。
  9. ^ 『官報』第3727号「叙任及辞令」1895年11月29日。
  10. ^ 『官報』第3889号・付録「辞令」1896年6月17日。
  11. ^ 『官報』第5566号「叙任及辞令」1902年1月25日。
  12. ^ 『官報』第5835号・付録、「叙任及辞令」1902年12月13日。
  13. ^ 『官報』第6395号「叙任及辞令」1904年10月22日。
  14. ^ 『官報』第6541号「告示 - 海軍省報告第15号」1905年4月24日
  15. ^ 『官報』第7171号・付録「辞令」1907年5月28日。

参考文献

  • 東京経済雑誌社『日本人名辞書』1921年 - この記述には、パブリックドメインの本書の翻案を含む。



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