海紅堂事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 01:21 UTC 版)
1915年5月12日、かねてより意見対立の激しかった乙字と海紅同人、とくに中塚一碧楼を始めとする若手俳人とが海紅堂の句会で衝突した事件。以前から海紅本誌の選者欄を別枠で要求していた乙字に対して一碧楼らが拒否、対立激しい中での5月12日の句会において、出句に対して辛辣な論調の乙字に対し、20歳の青年、山口葉吉が激昂、乙字の後頭部を茶碗で殴りつけ、流血させて病院送りとした。碧梧桐が欠席した中での傷害事件であった。この件に関しては当時、海紅に出入りしていた芥川龍之介始め多数の作家、俳人が記録を残している。これを機に乙字は海紅を離脱、一方の葉吉はのちに海紅の編集委員となっている。
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