海王星の観測
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 15:58 UTC 版)
「ヨハン・ゴットフリート・ガレ」の記事における「海王星の観測」の解説
ガレは1845年に博士論文を完成した。この論文は、オーレ・レーマーが1706年10月20日から10月23日にかけて行なった恒星と惑星の子午線通過の観測について、解析と批評を加えたものだった。1845年頃、ガレはこの論文をユルバン・ルヴェリエに送ったが、これに対するルヴェリエの返信は1年後の1846年9月18日になってようやく送られた。この手紙はガレの元に9月23日に着き、その中でルヴェリエは、天王星の摂動の原因として存在が予測される新惑星を見つけるために、空のある領域を観測して欲しいと書いていた。 上司のエンケはこの予測に否定的だったが、ガレにこの日の夜の観測を許可した。この夜の観測で、ガレと学生のハインリヒ・ダレストはルヴェリエの記述に合致する天体を発見し、続く2夜の観測によってこの天体が惑星であることが確認された。 その後、ルヴェリエと、どちらが海王星の発見者か、ということで争っていたが、現在では、この2人の共同であるということで落ち着いている。
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