海外での活躍とナチスとの確執
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/12 14:26 UTC 版)
「アドルフ・ブッシュ」の記事における「海外での活躍とナチスとの確執」の解説
1927年にバーゼルへと移り住み、ユーディ・メニューインを指導した。また、1931年にはアルトゥーロ・トスカニーニが指揮するニューヨーク・フィルハーモニックとともにアメリカデビューを果たした。なお、トスカニーニはブッシュが尊敬する指揮者の1人であり、1920年にミラノでトスカニーニのリハーサルに立ち会った際、ブッシュはその妥協のなさに感銘を受け、練習量を増やしたとされる。トスカニーニもブッシュの演奏に感動し、ニューヨーク・フィルハーモニックの海外ツアーのゲスト・ソリストとして招くとともに、バッハの解釈について教えを求めた。 ブッシュが海外で活躍するなか、1933年にドイツで権力を掌握したナチスは、「ドイツ的ヴァイオリニスト」として世界的な人気を博していた音楽家で、ヨーゼフ・シゲティとならんで「非ユダヤ人」の一流ヴァイオリニストであったブッシュがベルリンに戻ってくることを熱望し、様々な交渉を持ちかけたが、ナチスの態度に反対していたブッシュはこれを断り、第二次世界大戦後に至るまでドイツでの演奏活動を断念した。
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