海和俊宏とは? わかりやすく解説

海和俊宏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/09 01:42 UTC 版)

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海和 俊宏(かいわ としひろ、1955年4月24日 - )は、山形県最上町出身の元アルペンスキー選手。日本が生んだ初のワールドカップ・第1シード選手。現在はカイワスポーツクリエイティブ代表として、北志賀よませ温泉スキー場で、ホテルとスキースクールを経営し、レーシングキャンプから修学旅行の団体まで、幅広くスキー、スノーボードを教えている。よませは、海和の移住以降、レーシング系スキーヤーのメッカの一つとなっている。

経歴

1976年の第54回全日本スキー選手権大回転優勝。

1977年オーストリアのサン・アントンで開かれたFISワールドカップ・男子回転で1位とのタイム差が1秒16で7位に入り、第1シード入りを果たす。翌1978年西ドイツのオーバーシュタウフェンで開かれたFISワールドカップ・男子回転では5位につける。同年ドイツのガルミッシュ=パルテンキルヒェンで開かれた1978年アルペンスキー世界選手権では7位。

当時共に戦った、FISワールドカップで歴代第1位の通算86勝を記録したことで有名なインゲマル・ステンマルクは、第1シードに入った海和を「技術的に世界で一番怖いのはカイワ」とインタビューで答えている程、技術的には世界トップクラスの選手だった。

しかし1978年夏のトレーニング中アキレス腱を切断するトラブルに見舞われ、翌シーズン競技に復帰するも最高位は10位と二度とワールドカップで一桁台の成績をあげることはできなかった。1984年サラエボオリンピックで回転12位、大回転26位の成績を残しこのシーズン限りで引退した。

1987年ホイチョイ・プロダクションズ製作の映画「私をスキーに連れてって」では、スキーヤー関係の窓口として参加し、三上博史や出演者たちのスタントの手配から、スキーに関する技術情報や小ネタ(たとえばスキーをストックを使わずに外すシーンがある)までを提供しているが、当時アマチュア規定にうるさかったSAJに所属していたため、クレジットはされていない。しかし、自身も画面でスタントとして滑っていると現在では認めている。また、1995年フジテレビ系ドラマ「最高の片想い」にも最終回に特別出演している。

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