浦松佐美太郎とは? わかりやすく解説

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浦松佐美太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/10 15:13 UTC 版)

浦松 佐美太郎(うらまつ さみたろう、1901年10月1日 - 1981年12月23日)は、日本ジャーナリスト登山家

今日では本業のジャーナリストとしてよりも、登山家・山岳作家としての仕事で知られている。

来歴

1919年、旧制芝中学校卒業後[1]東京商科大学(現・一橋大学)卒業。ロンドンに留学して近代登山に出会い、帰国後『たった一人の山』((1941年刊)など、山岳紀行の分野を開拓する。

ジャーナリストとしては日本太平洋問題調査会に参加し、1929年京都で開かれた「太平洋会議」(太平洋問題調査会の国際会議)の後、その争点を検討する「東京政治経済研究所」を蠟山政道松本重治牛場友彦らとともに設立し、近衛文麿の外交問題ブレインを形成した。

吉川英治を評し「国民文学」作家と呼んだ人でもある。

著書

翻訳

脚注

  1. ^ 社会部 石井行夫. “東京の高校めぐり あの人もここに学んだ(芝高校6)”. 産経新聞. 




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