浜田杏堂とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 人名 > 美術人名辞典 > 浜田杏堂の意味・解説 

浜田杏堂

読み方はまだ きょうどう

江戸後期医師大坂の人。名は世憲、別号に痴山、通称は希庵。福原五岳南画学び山水花鳥能くした。文化11年1814)歿、49才。

浜田杏堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 13:26 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
浜田杏堂肖像 『近世名家肖像』より

浜田 杏堂(はまだ きょうどう、明和3年(1766年) - 文化11年12月22日1815年1月31日))は江戸時代中期後期の画家漢方医

本姓は名和氏。名は世憲、は子徴・子絢、は杏堂・痴仙。通称を希庵という。大坂の人。

略伝

幼いときに儒医の浜田家の養子となり、長じて名医と評された。医業の傍ら池大雅の門人・福原五岳に就いて画を学び、中国花鳥画山水画を研究[1]し一家を成した。また行書に優れ、詩文を能くした。木村蒹葭堂森川竹窓篠崎小竹十時梅厓ら大坂の文人や江戸の谷文晁釧雲泉などと交流している。

享年49。高津中寺町法雲寺に墓所がある。

作品

刊行物

  • 校訂『江邨銷夏録』(中国画論書)
  • 跋文 谷文晁模『漂客奇勝』

脚注

  1. ^ 丁雲鵬伊孚九などを模写している、

出典



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「浜田杏堂」の関連用語

浜田杏堂のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



浜田杏堂のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2025 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの浜田杏堂 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS