浅地正一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/08 15:04 UTC 版)
あさじ しょういち
浅地 正一 |
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生誕 | 1938年2月25日(85歳) 東京都港区赤坂 |
国籍 | ![]() |
子供 | 正吾(外国法事務弁護士) |
親 | 父・浅地庄太郎、母・静江 |
浅地 正一(あさじ しょういち、1938年〈昭和13年〉2月25日 - )は、日本の実業家である。日本ビルサービスの代表取締役社長、特別顧問を務めた。東京青年会議所理事長、逗子なぎさホテル社長、日本商工会議所特別顧問、東京商工会議所副会頭等を歴任。現在、東京商工会議所顧問、浅地事務所代表。
経歴
生い立ち
- 1938年(昭和13年)2月25日 東京赤坂に生まれる。1944年(昭和19年)東京都東調布第二国民学校入学。在学中に軽井沢へ疎開。後、暁星小学校(東京都千代田区)を卒業。
- 中学は慶應義塾普通部に、高校は慶應義塾高等学校に進学。中学ではテニス部主将を務め、高校ではゴルフ部主将を務める。
- その後、慶應義塾大学経済学部に進学。グリーンクラブ(現体育会ゴルフ部)の主将、関東学生ゴルフ連盟委員長と日本学生ゴルフ連盟委員長を務める。学生ゴルフへの貢献を認められ朝日新聞特別賞を受賞[1]。
職歴
1960年(昭和35年)日本ビルサービス入社、取締役就任。
1975年(昭和50年)同社代表取締役社長就任、逗子なぎさホテル社長就任。
2005年(平成17年)日本ビルサービスの株式を同業・ビル代行に100%譲渡、同特別顧問に就任(2007年まで)。2015年(平成27年)日本ビルサービスはビル代行と統合し、グローブシップとなる。
その他の活動
1973年(昭和48年)東京ビルメンテナンス協会理事
1975年(昭和50年)東京青年会議所理事長
1977年(昭和52年)全国ビルメンテナンス協会理事
1982年(昭和57年)東京商工会議所議員
1997年(平成9年)東京商工会議所労働委員長、日本商工会議所労働委員長
2000年(平成12年)慶應連合三田会2000年大会実行委員長(副委員長・橋本龍太郎元総理)
2001年(平成13年)東京商工会議所副会頭、厚生労働省労働政策審議会委員
2003年(平成15年)内閣府男女共同参画会議専門委員、日比谷公園100周年記念事業実行委員長
受賞
1960年(昭和35年)6月 米国・サンフランシスコ市名誉市民の鍵授受
関連書籍
- グローブシップ(編集)『逗子なぎさホテル物語 ペーパーバック』知玄舎 2019年3月22日、ISBN 978-4907875916
著書・寄稿
- 浅地正一(監修)、岡田玉規(編著) 『日本のビルメンテナンス産業創生の礎――浅地庄太郎伝』知玄舎、2023年2月3日。 ISBN 9784434314322。
- 浅地正一(著)『平成時代の経営課題――東商で学んだ労働問題』ビル管理ジャーナル社、1998年5月15日
- 寄稿「ジュリスト」有斐閣、1992年4月1日号「労働時間短縮問題に対する東京商工会議所の取り組み」
脚注
- ^ 「学生ゴルフ、蒲生、朝日杯を獲得」『朝日新聞』、1959年11月28日、東京本社版、朝刊、9面。
参考文献
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この節には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注によって参照されておらず、情報源が不明瞭です。
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- 「産業新潮」産業新潮社、1999年5月、「立志熱伝、経営者は語る(7)浅地正一 日本ビルサービス社長」、48 (5), 50頁-53頁 CRID 1522543654688110976
- 『ガラスクリーニング革命を演出した男たち:スクイジーものがたり(ビルメンテナンスシリーズ)』ビル管理レポート編集部(編集)、社会環境研究所、1986年 全国書誌番号: 87011260
- 「週刊ビル経営」ビル経営研究所、2006年1月23日、「日本ビルサービス、経営幹部を入れ換え浅地氏は特別顧問にービル代行社長矢口氏がNBS代表兼務」
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