浅井氏の台頭と自立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 07:18 UTC 版)
しかし亮政の死後、後継の浅井久政の代になると旧守護である京極氏の勢力の巻き返しや、周辺大名である南近江の六角氏や美濃の守護代斎藤氏らの台頭により北近江は抗争の舞台となる。このため、第三国である越前国の朝倉氏との提携を模索する。 美濃では守護代斎藤氏の没落によって東からの脅威は取り払われたが、六角氏の北近江への侵攻を強めた。特に定頼の子・六角義賢からは大攻勢をかけられる一方で、六角家家臣の娘を久政の嫡男・新九郎に娶らされただけでなく、新九郎の名乗りも「賢政」にさせられるなど、徐々に六角氏に臣従化を促され家臣化されていく。こうした六角氏の影響力が強まる中で、浅井家中も分裂していたという。
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