津村紀三子とは? わかりやすく解説

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津村紀三子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/29 07:43 UTC 版)

つむら きみこ
津村 紀三子
本名 大内 しげ
別名義 津村 君子
生年月日 (1902-08-16) 1902年8月16日
没年月日 (1974-04-12) 1974年4月12日(71歳没)
出生地 日本兵庫県明石市
国籍 日本
職業 能楽師
ジャンル 舞台
活動期間 1910年 - 1974年
活動内容 女性初の能楽師範
1921年 京城(現ソウル)演能
1948年 能楽協会登録
配偶者 大内正美
著名な家族 兄:津村京村
主な作品
新作能
『文がら』、他十曲
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生涯

1902年(明治35年)、兵庫県明石市生まれ。本名しげ。婚姻前の呼名は「津村君子」。兄は劇作家の津村京村。7歳頃から謡曲を習いはじめ、1921年(大正10年)、観世華雪に師事。東京と朝鮮を往復しながら釜山京城(現・ソウル)で謡曲仕舞を教え、京城で「羽衣」「菊慈童」などを演能した。しかしながら、当時の能楽界は女人禁制とされており、女性による演能は許されていなかったため、師から破門されることとなった。以後、非公式ではあるが東京・釜山・京城などで活動を続けた。

1939年(昭和14年)大槻十三門で正式に能楽界へ復帰。女性で初めて師範の免状を受ける。「猩々乱」披曲、準職分認定。大内正美と結婚。1948年(昭和23年)、女性の能楽協会への加入が認められた事を受けて、社団法人能楽協会に会員登録。1950年(昭和25年)「道成寺」を披く。同年肺結核に侵されるが、病床で新作能を手掛ける。1956年(昭和31年)再起。緑泉会の後継者を育てながら新作能を発表し、演能活動を続けた。1974年(昭和49年)死去、享年72。近現代能楽史における女性能楽師の先駆者とも評されている。

新作能

関連書籍

  • 金森敦子 『女流誕生 能楽師津村紀三子の生涯』 法政大学出版局、1994年
  • 津村紀三子 『散り来る花に 津村紀三子十三回忌記念出版』 緑泉会、1986年

関連項目




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