津村秀門とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 津村秀門の意味・解説 

津村秀門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/12/31 14:56 UTC 版)

 
津村秀門
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 天正6年(1578年
別名 大助
主君 大友義鎮(宗麟)
氏族 津村氏
父母 父:津村秀国
秀千代

津村 秀門(つむら ひでかど)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将筑後国津村城主。

津村氏は藤原秀郷の流れを汲む栗木秀政の子孫である津村秀保を祖とする。秀保の時、九州へ下り大友氏に従い、津村城を築き津村氏を名乗ったという。天正6年(1578年)11月肥前国龍造寺隆信の筑後侵攻に対し、秀門は大友方として抗戦するも衆寡敵せず、討ち死にを遂げ、津村城も落城した。秀門の子である秀千代は城から脱出し浮羽郡へ逃れた。秀千代の孫の代に津村へ戻り、以後庄屋を営んだ。

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「津村秀門」の関連用語

津村秀門のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



津村秀門のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの津村秀門 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS