法園寺_(尼崎市猪名寺)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 法園寺_(尼崎市猪名寺)の意味・解説 

法園寺 (尼崎市猪名寺)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 00:37 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
法園寺
所在地 兵庫県尼崎市猪名寺1-31
位置 北緯34度46分06秒 東経135度25分33秒 / 北緯34.76833度 東経135.42583度 / 34.76833; 135.42583座標: 北緯34度46分06秒 東経135度25分33秒 / 北緯34.76833度 東経135.42583度 / 34.76833; 135.42583
山号 猪名野山
宗旨 古義真言宗
宗派 真言宗御室派
本尊 薬師如来
開基 法道
正式名 猪名野山法園寺
別称 猪名寺
札所等 川辺西国三十三所22番
法人番号 5140005011453
法園寺
法園寺 (兵庫県)
テンプレートを表示

法園寺(ほうおんじ)は、兵庫県尼崎市猪名寺にある真言宗御室派寺院。山号は猪名野山。本尊は秘仏薬師如来像で、平安時代後期の作。

概要

寺伝によると、大化元年(645年)インドの僧・法道が開創、天平13年(741年)に行基が中興し、孝徳天皇七堂伽藍三廊四門を建立し寺領八百八町を下賜したと伝えられる。

元亨元年(1321年元弘の乱の兵火に遭い、寺領・伽藍を失うも再興。しかし天正6年(1577年)の荒木村重織田信長の戦いでは完全に焼失した。その後、本尊が池から発見され、宝暦7年(1756年)小堂を再興、翌年、法印定暠が本堂を建立した。

明治6年(1873年)には無住のため廃寺となるが、明治11年に檀家の努力で再興された。

上記の寺伝や『摂陽群談』には、北隣にあったとされる大寺院・猪名寺と同一であったと思われる記述も見られる。

猪名野神社 元宮

交通

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「法園寺_(尼崎市猪名寺)」の関連用語

法園寺_(尼崎市猪名寺)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



法園寺_(尼崎市猪名寺)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの法園寺 (尼崎市猪名寺) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS