河口静雄
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河口 静雄(かわぐち しずお、1898年11月14日[1] - 1991年12月19日)は、日本の実業家。三共副社長、東京12チャンネルテレビ事業本部長を務めた。
経歴
福岡県柳川市出身[1]。河口時次、トリの三男[1]。1928年に慶應義塾大学法学部を卒業し三共に入社[1]。資材部長、1944年7月に取締役、1950年5月に常務、1955年11月専務を経て[1]、1962年11月には副社長に就任し、1964年5月から相談役を務めた[1]。1969年11月には当時経営不振に陥っていた東京12チャンネルテレビ事業本部長に就任し、同社の再建に当たった[2]。全日本広告連盟理事長、日本広告審査機構理事長なども歴任し、広告界の重鎮として活躍した[3]。1967年には日本宣伝大賞を授賞[4]、1969年4月には勲三等瑞宝章を受章した[1]。
1991年12月19日、心不全のために東京都の自宅で死去[3]。93歳没。
死後の1996年にはマスコミ功労者顕彰の広告部門での表彰を受けている[5]。
親族
脚注
参考文献
- 人事興信所 編『人事興信録 第33版 上』人事興信所、1985年。
- 河口弘雄 著『NPOの実践経営学』同友館、2001年。
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