沖縄かりゆしFCとは? わかりやすく解説

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沖縄かりゆしFC

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/03 00:23 UTC 版)

沖縄かりゆしFC
原語表記 沖縄かりゆしフットボールクラブ
呼称 沖縄かりゆしFC
愛称 かりゆし
クラブカラー オレンジ
創設年 1999年
解散年 2010年
所属リーグ 九州サッカーリーグ(解散当時)
ホームタウン 沖縄県那覇市
運営法人 株式会社沖縄かりゆしフットボールクラブ
代表者 與那嶺茂
監督 仲本洋
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

沖縄かりゆしFC(おきなわかりゆしフットボールクラブ)は、沖縄県那覇市を本拠地として2010年1月まで活動していたサッカークラブである。

概要・歴史

1999年6月、沖縄県最大のホテルグループである「かりゆしホテルグループ」がスポンサーとなり、かりゆしホテルズFCとして発足[1]同年の天皇杯沖縄県予選でいきなり準優勝に輝く。翌2000年は第36回全国社会人サッカー選手権大会に出場を果たすと、沖縄県社会人サッカーリーグでは3部東部ブロックで優勝し、1部へ飛び級昇格。

チームが本格的にJリーグ参戦を目指すようになったのは2001年。3月に「株式会社沖縄かりゆしフットボールクラブ」としてクラブの法人化を行い、沖縄かりゆしFCに改称[2]。元ヴェルディ川崎ラモス瑠偉を選手兼テクニカルディレクターとして招聘し、サテライト(2軍)組織「かりゆしサウシーシャ」(県社会人リーグ所属)、ユース組織も確立した。同年は天皇杯沖縄県予選で優勝し、第81回天皇杯に初出場。沖縄県リーグ1部も全勝優勝し、九州各県リーグ決勝大会を制して九州サッカーリーグに昇格。

2002年は九州リーグを無敗で制し、第38回全国社会人サッカー選手権大会ではホンダルミノッソ狭山FCと延長戦の末0-0の同点で両チーム優勝。JFL昇格を賭けた第26回全国地域リーグ決勝大会では、アイン食品PK戦で敗れたことが響き1次ラウンド敗退となった。なお、同年10月にラモスがTDを解任され[3]、12月には所属選手22人中21人が退団の意思を表明した[4]。その後、退団した選手やラモスが中心となって新クラブ「FC琉球」を結成した[5]

2003年加藤久がGM兼監督に就任し[6]、多数の新加入選手を迎えた。九州リーグを連覇したが、第27回全国地域リーグ決勝大会では静岡FCにPK戦で敗れたことが響き、またも1次ラウンド敗退。第83回天皇杯1回戦ではJ2サガン鳥栖を破った[7]

2004年5月、かりゆしが同シーズン限りでスポンサードを打ち切る意向を表明し[8][2]、同年9月に加藤監督以下当時の所属選手27人全員が退団することを発表した[9][10]。九州リーグではホンダロックに及ばず2位に終わったが、同年10月の第40回全国社会人サッカー選手権大会ではホンダルミノッソ狭山FCと死闘を演じ、0-0の同点(延長戦が台風のため行われなかった)で両チーム優勝に輝いた[11]。年末にはトップチームの選手に続き下部組織の選手113人全員が退団し、加藤が代表となって「ヴィクサーレ沖縄」を設立した[12]

2005年はサテライト組織の「かりゆしサウシーシャ」所属選手を中心としたチーム再編を推し進め、九州リーグに引き続き参戦。8位で辛くも残留を果たす。

2007年、天皇杯沖縄県予選でJFLのFC琉球を延長戦の末破り、第87回天皇杯に出場。クラブ初の3回戦進出を果たす。第43回全国社会人サッカー選手権大会ではベスト4に輝いた。しかしシーズン終了後、次年度以降はプロ契約選手への給与の支給を打ち切り、遠征費など諸経費のみを負担する方針を固めた。チームの運営費用の負担が年々増大していることからチーム存続のための経費削減策で、「少なくとも2010年までの3年計画で負債を返済し、九州リーグに生き残ることだけを考えて取り組む」という姿勢を打ちだした[13]

その再建3か年計画の初年となった2008年は、ホンダロックやV・ファーレン長崎を抑え、5年ぶりとなる九州リーグ優勝を果たし、第88回天皇杯では2年連続で3回戦に進出する。第32回全国地域サッカーリーグ決勝大会1次ラウンドでは、決勝ラウンド進出のために最終戦で2点差以上の勝利が必要であったが1-2で敗れ、1次ラウンド最下位で残留。一方、最終戦の相手であったホンダロックはこの勝利によって決勝ラウンドに進出、最終的にJFL昇格を果たすという対照的な結果に終わった。

2009年は九州リーグで連覇を達成、第89回天皇杯に3年連続出場を果たすも、第33回全国地域サッカーリーグ決勝大会は1次ラウンドで敗れた。大会終了後の12月10日、2010年1月末でクラブを解散すると発表[14]。與那嶺茂代表は、クラブが約6000万円の累積赤字を抱えており、さらに年間の運営費が6000万円程度掛かることを挙げ、「来季の運営費を捻出できないのが一番の大きな理由。創部11年で苦渋の決断」と説明。Jリーグ参戦の前に、JFL昇格を果たせないばかりか、チーム再建3カ年計画の最終年を待たずして、チームは事実上の休部となった。クラブは存続を前提として県内外の企業と譲渡先の交渉を進めたが、所定期間内に受け皿となる企業が見つからなかった場合は九州リーグへの復帰ができない可能性も示唆されていた[15] 。所属選手の一部は、以前に沖縄かりゆしFCから分離・独立したFC琉球に移籍した。

チーム名の由来

「かりゆし」とは、沖縄県の言葉で、「幸せ」や「縁起の良いこと」を意味する言葉。「(沖縄)県民の夢と希望、そして活力を与えるチーム作りを目指そう」と言う意図で、付けられた。

成績・歴代監督

年度 所属 順位 勝点 試合 PK勝 PK敗 得点 失点 天皇杯 監督
2000 沖縄県3部東 優勝 - 0 - 0 瀧田一之
2001 沖縄県1部 優勝 27 9 9 - 0 - 0 1回戦
2002 九州 優勝 53 18 17 1 - 0 0 79 14 65 1回戦
2003 優勝 54 22 16 2 - 2 2 73 14 59 2回戦 加藤久
2004 2位 44 18 14 1 - 0 3 54 15 39 県予選敗退
2005 8位 13 18 3 1 - 2 12 18 48 -30 與那嶺茂
2006 5位 27 16 9 0 - 0 7 36 33 3
2007 6位 32 20 9 2 - 1 8 44 40 4 3回戦 仲本洋
2008 優勝 47 18 15 1 - 0 2 56 16 40 3回戦
2009 優勝 42 16 12 3 - 0 1 54 16 38 2回戦

タイトル

リーグ戦

カップ戦

ユニフォーム

チームカラーはオレンジとマリンブルー。沖縄の太陽と海をイメージしている[16]

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st) オレンジ オレンジ オレンジ
FP(2nd)
GK(1st)
GK(2nd)
FP 1st
FP 2nd
GK 1st
GK 2nd

所属選手

最終シーズン(2009年)所属スタッフを記す

役職 氏名
監督 仲本洋

最終シーズン(2009年)所属選手をポジション順に記す

Pos No. 選手名 前所属 移籍先
GK 01 當眞嗣高 かりゆしFC
21 高橋信幸 1.FCザールブリュッケン デッツォーラ島根
DF 02 杉本勇樹 鹿屋体育大学 FC KAGOSHIMA
03 堀内省吾 ホンダロックSC HOYO Atletico ELAN
07 飯島慎 順天堂大学 FC琉球
08 島袋琢也 沖縄市SC
22 堀健一 沼津香陵クラブ
MF 05 塗師亮 早稲田大学 東京ヴェルディ
10 関隆倫 ファジアーノ岡山 FC琉球
14 小寺一生 佐川印刷SC FC琉球
16 渡辺晋平 三菱自動車水島FC
17 遠山深 FC岐阜 tonan前橋
23 樋口富夫 国士舘大学 ヴォラドール松江
28 臼井祥 大山高校 日本ウェルネススポーツ専門学校
29 石井仁志 埼玉栄高校 尚美学園大学
FW 09 浅見和正 ホンダロックSC ソーマプライア
11 櫻田真平 FC岐阜セカンド JAPANサッカーカレッジ
18 木島徹也 MIOびわこ草津 松本山雅FC
20 浅野大地 アルテ高崎 バンディオンセ加古川
24 島袋貴男 国士舘大学 海邦銀行SC
27 高畑浩二 FC琉球

脚注

  1. ^ ラモス、県内チーム入り/かりゆしFC - ウェイバックマシン(2001年8月31日アーカイブ分) 琉球新報ニュース (2000年7月3日)
  2. ^ a b <かりゆしFC>かりゆしがスポンサー撤退へ - ウェイバックマシン(2004年6月29日アーカイブ分) 琉球新報 (2004年5月14日)
  3. ^ アーカイブ 2003年5月8日 - ウェイバックマシン  琉球新報 (2002年10月26日)
  4. ^ 沖縄かりゆしFC、21選手が退団表明 - ウェイバックマシン(2003年6月5日アーカイブ分) 琉球新報 (2002年12月2日)
  5. ^ 「かりゆし」退団選手ら「FC琉球」結成へ/サッカー - ウェイバックマシン(2004年6月5日アーカイブ分) 琉球新報 (2003年1月23日)
  6. ^ 沖縄かりゆしFC、加藤新監督が就任会見/「まずは選手集め」 - ウェイバックマシン(2003年7月3日アーカイブ分) 琉球新報 (2002年12月19日)
  7. ^ <天皇杯サッカー>かりゆし、J2鳥栖を撃破 - ウェイバックマシン(2004年6月25日アーカイブ分) (2003年12月1日)
  8. ^ 沖縄かりゆしメーンスポンサー撤退 - ウェイバックマシン(2004年6月3日アーカイブ分) nikkansports.com (2004年5月14日)
  9. ^ 沖縄かりゆし、監督と全27選手退団 - ウェイバックマシン(2004年12月30日アーカイブ分) nikkansports.com (2004年9月10日)
  10. ^ 沖縄かりゆしFC全選手が今季で退団 加藤監督も辞任 - ウェイバックマシン(2004年12月4日アーカイブ分) 琉球新報 (2004年9月10日)
  11. ^ かりゆしが有終の美/全国社会人サッカー - ウェイバックマシン(2004年12月13日アーカイブ分) 日刊スポーツ九州 (2004年10月21日)
  12. ^ ヴィクサーレ沖縄あす結成 かりゆしFC下部組織 - ウェイバックマシン(2005年1月12日アーカイブ分) 琉球新報 (2004年12月31日)
  13. ^ かりゆしFC 来季の給料打ち切り - ウェイバックマシン(2009年1月1日アーカイブ分) 2007年11月9日・琉球新報
  14. ^ サッカーかりゆしFC、2010年1月末で解散 - ウェイバックマシン(2010年4月20日アーカイブ分) 琉球新報 (2009年12月10日)
  15. ^ かりゆしFC解散「苦しい決断」 来季運営費捻出できず - ウェイバックマシン(2009年12月13日アーカイブ分) 2009年12月12日・琉球新報
  16. ^ チームプロフィール - ウェイバックマシン(2006年4月6日アーカイブ分) 沖縄かりゆしFC

関連項目




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