江戸家猫八 (初代)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 江戸家猫八 (初代)の意味・解説 

江戸家猫八 (初代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/02 08:09 UTC 版)

初代 江戸家 えどや 猫八 ねこはち
本名 岡田 信吉
生年月日 1868年4月25日
没年月日 (1932-04-06) 1932年4月6日(63歳没)
出身地 日本栃木県
死没地 日本群馬県高崎市
師匠 三代目片岡市蔵
二代目三遊亭小圓朝
三代目柳家小さん
家族 岡田梅村(兄)
三代目江戸家猫八(六男)
四代目江戸家猫八(孫)
江戸家まねき猫(孫)
江戸家猫ハッピー(孫)
三遊亭歌司(孫の夫)
五代目江戸家猫八(曾孫)

初代 江戸家 猫八(えどや ねこはち、1868年4月25日慶応4年4月3日[1] - 1932年昭和7年)4月6日)は、物真似師。栃木県出身。本名∶岡田 信吉。兄は日本画家の岡田梅村。

経歴

初めは歌舞伎役者三代目片岡市蔵の門で坂東かつらから片岡市之助といい女形を演じていた。1898年頃に鉛毒で手が不自由となり役者を断念し廃業。

1905年3月、三遊睦会の事務所に赴き寄席の出演を懇願し上席から二代目三遊亭小圓朝門下の落語家となり、半馬と名乗った、初高座は両国立花。それもまもなく廃業し、明治の末から富岡八幡宮を中心に神社の境内などで飴を売りながら鳥獣の物真似をし、人気を博していた。そこを、柳派の五厘(事務員)をやっていた二代目春風亭大与枝に見出され、三代目柳家小さんがその芸を惜しんで内輪にした。ただし「柳家」の屋号を名乗ることは周囲の反発が強かったため、二代目春風亭大与枝の故郷の上州舘林で講談に登場する「江戸家虎五郎」という侠客と、かつて実在した物真似芸人の名「猫八」から、「江戸家猫八」の名前を二代目春風亭大与枝が命名し、寄席に復帰。

巡業先の群馬県高崎市で急死。65歳であったという。墓所は雑司ヶ谷霊園

芸風

独特の毒舌芸や駄洒落問答などで、独演会を開くほどの人気を博した。SPレコードは30枚近く残されている。

弟子

脚注

  1. ^ 江戸家猫八」『新撰 芸能人物事典 明治~平成』日外アソシエーツhttps://kotobank.jp/word/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E5%AE%B6%E7%8C%AB%E5%85%ABコトバンクより2025年8月2日閲覧 

出典




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「江戸家猫八 (初代)」の関連用語

江戸家猫八 (初代)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



江戸家猫八 (初代)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの江戸家猫八 (初代) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS