水野降禄
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水野 降禄 | |
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生誕 | 1870年1月23日![]() |
死没 | 不明 |
所属組織 | ![]() |
軍歴 | 1892年 - 1919年 |
最終階級 | ![]() |
水野 降禄(みずの こうろく、1870年(明治3年)1月23日[1] - )は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍大佐。従五位勲三等。
経歴・人物
熊本県平民・水野可素の子。1892年(明治25年)7月23日、陸軍士官学校第3期卒業。翌年3月、少尉任官。郷里の熊本歩兵第13連隊で勤務を開始する[2]。 歩兵第23旅団副官を経て、1899年(明治32年)5月、津島警備隊副官[3]。同年6月、大尉。同年末、対馬警備歩兵大隊中隊長[4]。1902年(明治35年)1月、同司令部副官[5]。1907年(明治40年)、樺太守備隊副官。
1912年(大正元年)9月28日、陸軍歩兵中佐に任官。金沢の歩兵第7連隊附を経て[6]、1916年(大正5年)8月18日、陸軍歩兵大佐・岡山連隊区司令官となった[7]。1918年(大正7年)7月24日、待命し[8]、翌年の1919年(大正8年)1月15日、予備役となった[9]。
脚注
- ^ a b 『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿』(大正6年9月1日調)71コマ
- ^ 職員録 明治27年1月現在(甲)
- ^ 『官報』第4748号、明治32年5月3日。
- ^ 軍事新報 (127)
- ^ 『官報』第5557号、明治35年1月15日。
- ^ 『官報』第50号、大正元年9月30日。
- ^ 『官報』第1217号、大正5年8月19日。
- ^ 『官報』第1794号、大正7年7月25日。
- ^ 『官報』第1934号、大正8年1月16日。
参考文献
- 人事興信所 編 編『人事興信録 5版』人事興信所、1918年。NDLJP:1704046/1222。
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