水野鐘三とは? わかりやすく解説

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水野鐘三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/11 08:55 UTC 版)

水野 鐘三(みずの しょうぞう、1885年[1] - 1963年[1])は、日本の実業家

人物

銀行員や教員などを経て、東山村会議員を務める[1]。昭和初年には田代土地区画整理組合の組合長として、旧田代村の大部分を占める土地開発に携わる[WEB 1]。名古屋市が鶴舞公園内にあった動物園の移転先として、10万坪の土地を無償で提供したことで知られる[1][注釈 1]。森林公園(東山公園)計画は、大岩勇夫名古屋市長の「なんでもいいから日本一のものを」という号令により始まったもので、候補地は山崎川や猫ヶ洞も考えられていたが、水野の土地寄付の申し出により一気に候補地が東山に傾いたという[新聞 1]。この土地は、父水野民蔵が宮内省から払い下げられたものだった[新聞 2]。東山公園開園後は、息子の民也とともに園内の池でボートを商うこととなった[新聞 1]。この会社は後に「東山遊園」として法人化され、さらには星ヶ丘一帯の様々な施設を設置運営していくこととなる[WEB 2]

著書

  • 『田代町丸山地誌』[1]

脚注

注釈

  1. ^ ただし、1968年(昭和43年)3月28日付中日新聞「東山動・植物園の30年」という記事中の北王初代東山動物園長の発言として、水野が寄付したのは「79万平方メートル」[新聞 1](約23万坪)、また、『名古屋都市計画史』によれば、公園敷地のうち、関係地主の寄付分は「約17万8000坪(約59ha)」[2]、三井住友トラスト不動産WEBページには「所有地の内、約5・25万坪を名古屋市に寄付、約4万坪を売却し」た[WEB 2]とあり、面積に相違がある。

出典

WEB

  1. ^ ココロマチ. “名古屋の拡大と周縁部の開発”. 三井住友トラスト不動産. 2023年8月11日閲覧。
  2. ^ a b ココロマチ. “星ヶ丘の誕生と発展”. 三井住友トラスト不動産. 2023年8月11日閲覧。

新聞

  1. ^ a b c 「東山動・植物園の30年」『中日新聞』、1968年3月28日。
  2. ^ 「近ごろ星ヶ丘は 3 水野家、用地を寄付 進んだ開発」『朝日新聞』、2001年6月13日。

書籍

参考文献

  • 愛知県姓氏歴史人物大辞典編纂委員会 編『角川日本姓氏歴史人物大辞典 23 愛知県』角川書店、1991年10月30日。ISBN 4040022300 
  • 名古屋都市センター 編『名古屋都市計画史(大正8年~昭和44年)』名古屋都市センター、1999年。全国書誌番号: 22583554 



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