水嶋篤次
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水嶋 篤次(みずしま とくじ、1897年 <明治30年> 11月2日 - 1979年 <昭和54年> 10月2日)は、日本の経営者。新潟県出身[1]。位階は従四位。
経歴
1922年に早稲田大学商学部を卒業し、同年に大倉土木(のちの大成建設)に入社[1]。1946年8月に取締役に就任し、1947年3月に常務に就任したが、同年10月に公職追放を受け、退社[1]。1950年12月に顧問として復帰し、監査役、常務、専務を経て、1960年12月から1963年5月までに社長を務めた[1]。
1961年に藍綬褒章を受章し、1964年に紺綬褒章を受章し、1967年11月に勲三等瑞宝章を受章[1]。
1979年10月2日心不全のために死去[2]。81歳没。死没日付をもって従四位に叙された[3]。
脚注
参考文献
- 人事興信所 編『人事興信録 第28版 下』人事興信所、1975年。
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