水嶋篤次とは? わかりやすく解説

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水嶋篤次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/11 08:13 UTC 版)

水嶋 篤次(みずしま とくじ、1897年 <明治30年> 11月2日 - 1979年 <昭和54年> 10月2日)は、日本の経営者新潟県出身[1]位階従四位

経歴

1922年早稲田大学商学部を卒業し、同年に大倉土木(のちの大成建設)に入社[1]1946年8月に取締役に就任し、1947年3月に常務に就任したが、同年10月に公職追放を受け、退社[1]1950年12月に顧問として復帰し、監査役、常務、専務を経て、1960年12月から1963年5月までに社長を務めた[1]

1961年藍綬褒章を受章し、1964年紺綬褒章を受章し、1967年11月に勲三等瑞宝章を受章[1]

1979年10月2日心不全のために死去[2]。81歳没。死没日付をもって従四位に叙された[3]

脚注

  1. ^ a b c d e 人事興信所 1975, み85頁.
  2. ^ 1979年 10月3日 朝日新聞 夕刊 p11
  3. ^ 昭和54年 1979年10月20日付 官報 本紙 第15827号 9頁

参考文献

  • 人事興信所 編『人事興信録 第28版 下』人事興信所、1975年。 



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