死傷者と捕虜の人数
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/07 19:42 UTC 版)
「サンフランソワの襲撃」の記事における「死傷者と捕虜の人数」の解説
サンフランソワの襲撃の死傷者及び捕虜の人数には諸説がある。 ロジャーズは敵を200人殺し、20人の女子供を捕虜としたが、実際の捕虜は子供5人だった。フランスは、女子供20人を含む30人を殺したと発表した。フランシス・パークマンによれば、ロジャーズ側は襲撃で戦死1人、負傷6人で、退却の際にある小隊のうち5人が捕囚され、ほかの小隊20人が戦死または捕囚だった。出発当初の204人のレンジャーズが、生還時には約100人であったという説がある。 レンジャーズの襲撃で、100人以上のアベナキ族が死亡し、25人の捕虜が捕囚された。 襲撃で40人のインディアンが死亡し、一方レンジャーズの犠牲者は1人で、6人が負傷した。 200人が殺害されたが、20人が捕囚された。 少なくとも族長の家族を含め6人のアベナキ族を捕虜としていた。 フランスとアベナキ族の記録によれば、襲撃で死んだのは男10人、女22人の32人で、逃げようとしたところを射殺されたり、または家に火をつけられて焼死したりした。
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