歴史的な行政区画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 14:43 UTC 版)
政治的に独立した実体としてのブルターニュは1790年に消滅し、5つの県に分けられた。ブルターニュの県は多かれ少なかれ、中世に誕生した9つのカトリック司教区に対応したものだった。これらはしばしば、国や地方を意味するpays(ブルトン語でbro)と呼ばれ、財政と軍事の管区でもあった。ブルターニュは、ブルトン語が話される西半分をバス=ブルターニュ(低ブルターニュ)、伝統的にガロ語が話される東半分をオート=ブルターニュ(高ブルターニュ)とに分けてきた。(なお、この高低は上総、下総のようなもの)歴史的なブルターニュの司教区は以下のものである。 オート=ブルターニュ:ペイ・ナンテ - ナント周辺。ロワール=アトランティック県に対応 ペイ・レンネ - レンヌ周辺。イル=エ=ヴィレーヌ県の一部。 ペイ・ド・ドル - ドル=ド=ブルターニュ周辺。 ペイ・ド・サン=ブリユー - サン=ブリユー周辺。 ペイ・ド・サン=マロ - サンマロ周辺。イル=エ=ヴィレーヌ県、コート=ダルモール県、モルビアン県にまたがる バス=ブルターニュ:ペイ・ヴァンヌテ - ヴァンヌ周辺 コルヌアイユ - カンペール周辺。フィニステール県とモルビアン県にまたがる レオン - サン=ポル=ド=レオン周辺。 トレゴール - トレギエ周辺。 フランス革命中、4つの司教座が抑圧され、残った5つの司教座が県と同じ行政上の境を持つよう修正された。
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