武田家前進基地として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 14:09 UTC 版)
「長沼城 (信濃国)」の記事における「武田家前進基地として」の解説
永禄11年(1568年)、武田氏の支配下では足軽大将の原与左衛門尉勝重・市川等長(梅隠斎)らが守将として配置された。川中島の戦いから7年後、武田軍は本拠地を海津城から長沼城 (信濃国)に移して飯山城など北信濃の攻略の前線基地にしたとされる。江戸時代に描かれた「長沼古城の図」は平城で東方を千曲川で防御し、西南に武家屋敷、北方に大手門と冠木門で固める小規模ながら近世城郭に近い総構えであったとされる。
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