武田・北条の援軍は加勢していたか
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 15:35 UTC 版)
「桶狭間の戦い」の記事における「武田・北条の援軍は加勢していたか」の解説
今川義元は武田信玄・北条氏康との間で甲相駿三国同盟を結んでおり、軍事同盟である以上、義元の対織田戦に武田氏や北条氏がどう対応していたのか?という問題が浮上してくる。その中で丸島和洋は『甲陽軍鑑』における桶狭間の戦いの記述が頻出詳細であることに注目している。加えて、桶狭間の戦いから1か月後の6月13日付で武田信玄が岡部元信に書状を送り、その武勇を称えると同時に氏真に対する「侫人の讒言」があることを憂慮する内容となっていることを指摘し、桶狭間の戦い直後の今川家中で武田氏に対する不満が高まっていた(氏真に信玄への不満を述べる者がいた)のではないかとしている。丸島は武田氏が(恐らく北条氏も)今川軍に援軍を出すなどの支援行為を行っていたものの、桶狭間の戦いにおける武田氏の援軍の働きぶりに戦後の今川家中において不満や不信感を抱かれたのではないか、と推測している。
※この「武田・北条の援軍は加勢していたか」の解説は、「桶狭間の戦い」の解説の一部です。
「武田・北条の援軍は加勢していたか」を含む「桶狭間の戦い」の記事については、「桶狭間の戦い」の概要を参照ください。
- 武田北条の援軍は加勢していたかのページへのリンク