橋本辰二郎 (貴族院議員)
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橋本辰二郎
はしもと たつじろう
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『貴族院要覧 昭和21年12月増訂 丙』より
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生年月日 | 1868年6月30日 |
出生地 | ![]() (現・大分県) |
没年月日 | 1951年4月12日(82歳没) |
出身校 | 専修学校 (現・専修大学) |
前職 | 実業家 |
所属政党 | (茶話会→) 研究会 |
称号 | 正五位 勲二等 |
親族 | 養父・橋本雄造(貴族院議員) 養弟・橋本喜造(衆議院議員) |
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在任期間 | 1914年3月2日 - 1925年9月28日 1932年9月29日 - 1947年5月2日 |
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橋本 辰二郎(はしもと たつじろう、1868年6月30日〈明治元年5月11日[1]〉- 1951年〈昭和26年〉4月12日[2][3])は、明治末から昭和前期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。位階は正五位[2]。勲等は勲二等[2]。
経歴
豊前国、のちの大分県で橋本建平の二男として生まれる[1][4]。1885年(明治18年)3月、伯父橋本雄造の養子となった[1][4]。専修学校(現専修大学) を修了し[2][4]、1911年(明治44年)家督を相続した[1][4]。
1906年(明治39年)以降、長崎商業会議所会頭、橋本汽船社長、福洋汽船社長、橋本商事社長、山下コークス社長、日本タイプライター社長、九州汽船社長、長崎製鉄社長、長崎県商工経済会会頭などを務めた[1][2][4][5]。
政界では長崎市会議員に選出された[2]。1914年(大正3年)長崎県多額納税者として補欠選挙で貴族院議員に互選され[5][6]、同年3月2日[6][7]から1925年(大正14年)9月28日まで2期在任[2]。当選直後は茶話会に所属した[8]。さらに、1932年(昭和7年)にも貴族院議員に互選され[5]、同年9月29日[9][10]から1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで、この時は当選後から研究会に所属して活動し通算4期在任した[2][3]。
親族
脚注
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第4版』は67頁。
- ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』216頁。
- ^ a b 『研究会所属貴族院議員録 : 創立より解散まで 108コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b c d e 『長崎県人事興信録』64頁。
- ^ a b c 『長崎県大百科事典』701頁。
- ^ a b 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、23頁。橋本を森本と誤植。
- ^ 『官報』第476号、大正3年3月3日。
- ^ 『貴族院会派一覧 : 1890-1919 (日本近代史料叢書 ; C-2) 107コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、42頁。
- ^ 『官報』第1727号、昭和7年9月30日。
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 長崎日日新聞社編『長崎県人事興信録 1935版』長崎日日新聞社、1934年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 『長崎県大百科事典』長崎新聞社、1984年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
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