権力基盤の確立と集団指導制への道
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「ゲオルギー・マレンコフ」の記事における「権力基盤の確立と集団指導制への道」の解説
1953年3月5日にスターリンが死去すると、翌3月6日にラヴレンチー・ベリヤによって後任の閣僚会議議長(首相)に祭り上げられた。3月7日には書記局の名簿筆頭にもリストアップされ、マレンコフがスターリンの後継者として事実上の最高指導者となったことが確認された。しかし、新指導部は強大すぎる権限が1人に集中するのを防ぎたいと考え、最初に開かれた非公開の中央委員会会議でマレンコフは「人格崇拝の政策を終わらせ、集団指導体制に移行させる必要がある」と強調した。そして書記局の主導権をニキータ・フルシチョフに譲り渡し、憲法上の国家元首である最高会議幹部会議長にクリメント・ヴォロシーロフが就任したことにより、ここに、マレンコフ、フルシチョフ、ヴォロシーロフの「トロイカ(三頭)体制」が成立した。フルシチョフは同年9月に正式な党首ポストである第一書記となり、第一副首相兼内相となったベリヤはスターリン批判を展開したが、マレンコフはそれを支持しなかった。この行動はフルシチョフにとっても承認できるものでは無く、ベリヤは逮捕・処刑された。
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