梶山季之の活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 04:15 UTC 版)
『文藝春秋』と並行してライターとしてスタートしたばかりの梶山は、11月9日号で、警察官職務執行法改正案(令状なくしての捜索や、予防拘禁が可能という条文があった)に関する記事「またコワくなる警察官―デートも邪魔する警職法!」でセンセーションを巻き起こして、芸能週刊誌のイメージを覆す。 続いて同年の皇太子妃決定のニュースを記者が掴み、当時は新聞社間で、宮内庁の正式発表までは記事にしないという報道協定があったが、11月16日号で協定破りのスクープ掲載を準備する。しかし締切り前日に東宮教育係の小泉信三から記事の見合わせを依頼され、代わりに梶山が「話題小説 皇太子の恋」を一晩で書き上げて掲載した。直後にAP通信が正田美智子の名前を発信、続いて『週刊実話』も名前入りの記事を掲載。2日遅れで『週刊明星』9月24日号で、記事、写真の充実した内容で掲載。これには大きな反響があり、60万部を発行して9割を売った。9月27日には宮内庁の発表が行われる。しかしこのスクープは業界内では抜け駆けと言われ、その後は発行部数も低迷。その後草柳は『女性自身』、梶山は『週刊文春』に移る。
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