惟成親王
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/24 00:01 UTC 版)
惟成親王(これなりしんのう)は、南北朝時代から室町時代にかけての南朝の皇族・禅僧。後村上天皇第三皇子であり、長慶天皇と後亀山天皇の弟と推定される。官位は二品・中務卿[2]。後に出家して、道号は梅隠(ばいいん)、法諱は祐常(ゆうじょう)という。近年の小川剛生の研究によれば、南朝末期に後亀山天皇の東宮(皇太弟)に立ち、南北朝合一後に護聖院宮家を興して、その初代親王になったとする説が有力である[4]。護聖院宮の項目も参照のこと。
- ^ a b 富岡本『新葉和歌集』奥書
- ^ a b 東寺宝菩提院蔵『伝法灌頂雑記』応永17年3月27日条。南朝系図の中には、子として堯成王を挙げるものもあるが、これには疑問が多い。
- ^ 南朝系図によれば、中原師治の女の大蔵卿局(嘉喜門院大蔵卿)とされるが、もし惟成が護聖院宮であれば、その母は嘉喜門院と推定される。
- ^ 小川剛生「伏見殿をめぐる人々 ―『看聞日記』の人名考証―」(森正人編 『伏見宮文化圏の研究 ―学芸の享受と創造の場として―』 文部省科学研究費補助金研究成果報告書、2000年)
- ^ 『南方紀伝』
- ^ 『南山御出次第』
- ^ 応永10年頃に在庵普在の弟子の手で編まれた漢詩集『雲巣集』に作者として「梅隠」の名が見える。
- ^ 『梅花無尽蔵』第6-59「樵斎記」。「樵斎」とは、樵のように世俗を離れた隠者の庵室という意の名称。
- ^ 『王と呼ばれた皇族 古代中世皇統の末流』 赤坂恒明 2020年 吉川弘文館
- ^ 松薗斉『王朝時代の実像15 中世の王家と宮家』(臨川書店、2023年) ISBN 978-4-653-04715-5 P164-1655.
- 1 惟成親王とは
- 2 惟成親王の概要
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