梅小路定肖
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梅小路定肖(うめこうじ さだゆき、安永6年(1777年)7月19日 - 天保8年(1837年)6月18日)は、江戸時代後期の公卿。
官歴
- 天明6年(1786年):従五位下
- 寛政2年(1790年):従五位上、讃岐権守
- 寛政3年(1791年):民部大輔
- 寛政6年(1794年):正五位下、院判官代、勘解由次官
- 寛政10年(1798年):従四位下、院別当
- 享和2年(1802年):従四位上
- 文化3年(1806年):正四位下
- 文化7年(1810年):従三位
- 文化11年(1814年):正三位
- 文政7年(1824年):宮内卿
- 天保元年(1830年):踏歌外弁
- 天保2年(1831年):参議
系譜
- 実父:清閑寺益房
- 養父:梅小路定福
- 兄:清閑寺昶定
- 子:梅小路共久
- 子:梅小路定徳
- 子:高辻信全
出典
- 坂本武雄『公卿辞典』七丈書院、1944年。
- 黒板勝美『公卿補任』吉川弘文館、2000年。
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