梅北城とは? わかりやすく解説

梅北城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/30 05:05 UTC 版)

logo
梅北城
宮崎県
城郭構造 山城
天守構造 建造されず
築城主 平季基
築城年 万寿3年(1026年
主な城主 梅北氏新納氏北郷氏伊集院氏島津氏
廃城年 元和元年(1615年
遺構 曲輪、堀、土塁
指定文化財 都城市指定史跡[1]
位置 北緯31度41分10.7秒 東経131度03分06.0秒 / 北緯31.686306度 東経131.051667度 / 31.686306; 131.051667座標: 北緯31度41分10.7秒 東経131度03分06.0秒 / 北緯31.686306度 東経131.051667度 / 31.686306; 131.051667
地図
梅北城
テンプレートを表示

梅北城(うめきたじょう)は、宮崎県都城市梅北町にあった日本の城山城)。城跡は都城市指定史跡に指定されている[1]

概要

都城盆地の南部、梅北川と野間川の合流点を望むシラス台地の西端部(標高約164メートル)とその南側に取りつく一段低い開析扇状地面に位置している。

万寿3年(1026年)に、平季基によって築城されたという伝承があり、『三国名勝図会』によると、城内は4つに区分され「飛永城」、「上村城」、「中之城」、「新城」と呼ばれていた。

元和元年(1615年)に廃城となるまで約590年間、南九州の覇権を巡る争いの中で、要害の地として活用された。

歴史

島津荘 を開発した太宰大監・平季基が創築したと伝わるが、詳細は不明である。

南北朝時代には南朝側の拠点となっており、15世紀後半の島津氏領有を経て、15世紀末には新納氏の領有となった。享禄元年(1528年)に伊東氏が攻め寄せると、新納忠勝は梅北城より兵を出し、一旦は冷水にて伊東氏の軍を破ったが、北郷忠相と結んだ伊東氏に再度攻められ、黒坂にて敗北して梅北城に逃げ込んだ。

その後、 天文年間(1532年1555年)以降は北郷氏の支城となったが、豊臣秀吉九州征伐後の文禄3年(1594年)に島津家領内で検地が行われると、北郷氏は祁答院へ移され、伊集院氏の所領となった。

慶長4年(1599年)に起きた庄内の乱では、梅北城は伊集院忠真都之城を本城とする十二外城の一つとして、日置善左衛門、日置覚内、渋谷仲左衛門らが立て篭もったが、慶長5年(1600年)3月10日に降伏開城した。

降伏後、忠真は頴娃1万石へ移され、都城には旧領主であった北郷氏が復帰して乱は終結した。

元和元年(1615年)の一国一城令により廃城となった。

遺構

中之城は、全体がよく温存されており、北側に土塁を備え、梅北城の中で最も防御機能が高い曲輪と見られる。

新城は東側の土塁が崩され、堀が埋め立てられているなど破壊が進行しているが、残っている土塁は、傾斜角度が急で上面も幅広に整えられており、土塁の高さや堀の規模等の状況から戦国末期から織豊期のものとみられ、慶長4年(1599年)の庄内の乱を契機としたものと推定されている。

上村城は尾根が大きく削平されてしまい、遺構が失われている。

脚注

  1. ^ a b 「梅北城跡」都城市公式HP

参考文献

※『宮崎県中近世城館跡緊急分布調査報告書II』(宮崎県教育委員会、平成11年)等を再掲したもの。

  • 「都城市文化財調査報告書 第140集 【新版】都城市の中世城館 」、都城市教育委員会、2019年3月。 
  • 「都城市の文化財」、都城市教育委員会、2014年7月。 

関連項目


梅北城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 00:06 UTC 版)

梅北町」の記事における「梅北城」の解説

伝承によると、万寿3年1026年)に、平季基によって築城されたとされ、季基の娘婿(又は孫婿)である伴兼貞(肝付氏の祖)が拠点とし、その子孫肝付氏庶流)が梅北氏称した

※この「梅北城」の解説は、「梅北町」の解説の一部です。
「梅北城」を含む「梅北町」の記事については、「梅北町」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「梅北城」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「梅北城」の関連用語

梅北城のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



梅北城のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの梅北城 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの梅北町 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS