桂米太郎とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 芸能人 > 芸人 > 落語の名跡 > 桂米太郎の意味・解説 

桂米太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/03 15:51 UTC 版)

桂 米太郎(かつら よねたろう)は上方落語名跡。現在は空き名跡となっている。

一時期江戸落語に同名の桂米多朗がいたものの、改名により一玄亭米多朗となっている。

結三柏は、桂米朝一門の定紋である。

初代

初代 かつら 米太郎 よねたろう
生年月日 1896年
没年月日 1965年
出身地 日本
師匠 桂米若
名跡 1. 桂文弥
2. 初代桂米太郎
活動内容 上方落語
所属 新桂派
大八会

初代 桂 米太郎1896年 - 1965年ころ)本名林 弥太郎。

桂米若?の門下で文弥を名乗り新桂派に出ていたが、大正の末に大八会に移り桂米太郎と改名。

落語では「お玉牛」を得意としたが「百面相」という珍芸で売った。また田植えから米の炊き上がるまでの「米洗い」の下座の曲にのせて見せる珍芸は逸品だった。昭和期には寄席に出ず漫才などの色物・諸芸一座に加わった。

最晩年の昭和30年代に「米洗い」をテレビで披露している。没年不詳。昭和40年ころに没。桂朝丸(現在の2代目桂ざこば)も若いころに「米洗い」を挑戦したがしんどさに断念した。

2代目

2代目 かつら 米太郎 よねたろう

結三柏は、桂米朝一門定紋である。
本名 池田 賢次
生年月日 1949年10月11日
没年月日 (1982-08-10) 1982年8月10日(32歳没)
出生地 日本広島県
師匠 3代目桂米朝
活動期間 1970年 - 1982年
活動内容 上方落語
所属 米朝事務所
備考
上方落語協会会員(1970年 - 1982年)

2代目 桂 米太郎1949年10月11日 - 1982年8月10日)は、本名池田 賢次

1970年4月に3代目桂米朝に入門。噺家になる前はコックをやっており、内弟子時代は料理などを振舞って師匠米朝に重宝された。広島県出身で訛りがあったため、あまり活動はしておらず、「岩田寄席」の世話役を引き受けるなど若手の指導に力を入れた。1982年に32歳で急死。

大変面倒見がよかったため若手の中でも人望が高く、亡くなってからは大阪サンケイホール一門総出演の追善落語会が行われた。

出典

  • 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社ISBN 458212612X
  • ご存知古今東西噺家紳士録




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「桂米太郎」の関連用語

桂米太郎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



桂米太郎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの桂米太郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS