根来家のその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 02:07 UTC 版)
重明の後、二本松の根来家は、重明の息子の系統である宗家(八九朗家)と、重明の娘(実は養女で、重明の弟である与右衛門の娘)を娶り根来の姓を名乗ることを許された伝右衛門正勝(元の姓は穂積)の系統である分家(伝右衛門家)に分かれて存続し、代々、藩の剣術指南や軍事関係の職を担うこととなる。戊辰戦争の時の悲劇で知られる、二本松少年隊の一人、根来梶之助は、八九朗家の人間である。君主を諌めて投獄され獄中で食を断って亡くなった根来正成(別説では正興)は、中山義秀の小説「残照」などにも取り上げられて有名だが、伝右衛門家の系統に属する。また、文人として有名な高橋太華も、伝右衛門家に属する根来正緩(二本松藩剣術指南)の息子であるが、父親の死後、母方の姓である高橋を名乗った。
※この「根来家のその後」の解説は、「根来重明」の解説の一部です。
「根来家のその後」を含む「根来重明」の記事については、「根来重明」の概要を参照ください。
- 根来家のその後のページへのリンク