校名変更の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/13 02:49 UTC 版)
本校はそれまでの広島女子商業高等学校から「広島安芸女子大学高等学校」(2000年〜2001年)、「立志舘広島高等学校」(2002年〜2004年)と短期間に改称しているが、これは関連校である広島女子商短期大学が短大から4年制大学に移行したため2000年に「広島安芸女子大学」と改称し、さらに2002年に共学に移行し「立志舘大学」と改称したが、2003年に経営破綻し卒業生を送り出さずに事実上廃校という戦後2度目(1度目は戦後混乱期の久我山大学)の事態におちいたために伴う処置である。また旧立志舘大学は広島女子商学園高等学校と同敷地内にあったが、呉大学を経て現在では広島文化学園大学坂キャンパスとして、学生及び施設は継承されている。 2008年4月から現在の「広島翔洋(しょうよう)高等学校」に校名を変更し、男女共学となった。
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