立志舘大学
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| 立志舘大学 | |
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|   
       かって立志舘大学が置かれていた建物
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| 大学設置 | 2000年 | 
| 創立 | 1989年 | 
| 廃止 | 2003年 | 
| 学校種別 | 私立 | 
| 設置者 | 学校法人広島女子商学園 | 
| 本部所在地 | 広島県安芸郡坂町平成ヶ浜3丁目3−20 | 
| 学部 | 経営学部 | 
立志舘大学(りっしかんだいがく、公用語表記: 立志舘大学)は、広島県安芸郡坂町平成ヶ浜3丁目3−20に本部を置いていた日本の私立大学である。2000年に設置され、2003年に廃止された。
概要
1925年に広島女子商業学校として創立[1]。1989年学校法人広島女子商学園が経営する広島女子商短期大学(ひろしまじょししょうたんきだいがく)を母体として[1]、2000年4月に広島安芸女子大学(ひろしまあきじょしだいがく)として開校[2]。開校当初より定員割れで経営難に陥り[3][2]、2001年にジェイク医療福祉技術専門学校(現・郡山健康科学専門学校)などを運営する学校法人佐久間学園が経営支援を表明[2][4]。2004年に郡山市中心部に、理学療法士を養成する保健学部と、介護福祉士を養成する福祉学部を設置予定だった[2][4][5][6]。
2002年4月に男女共学になり立志舘大学と改称[3]。佐久間学園の地元である郡山市への福祉系学部の新設等も計画したが、新入生の約三分の一は、授業料を半額にして中国から招いた留学生であることや[7]、新理事長が大学の土地、建物を担保に融資を受けていた問題が発覚し[7]、同年10月に理事長が辞職し佐久間学園が支援から撤退[8]。その結果経営に行き詰まり2003年3月に一度も卒業生を出さずに廃校となった[8]。廃校時点で在籍していた学生は呉大学社会情報学部(2009年4月より広島文化学園大学に名称変更)が継承した[9][10]。
立志舘大学のキャンパスは現在、広島文化学園大の施設[11]として使用されている。
年表
学部
関連項目
脚注
- ^ a b 「経営難の広島女子商学園 福島県の法人が財政支援=広島」『読売新聞』2001年9月6日、大阪朝刊、広島、24頁。
 - ^ a b c d e 「郡山の佐久間学園、経営難の大学支援 「市内に新学部」狙い=福島」『読売新聞』2001年9月6日、東京朝刊、福島、28頁。
 - ^ a b c 「女子大は復活する 就職力と資格対応で人気上昇の兆し」『朝日新聞』2005年2月14日、週刊、アエラ、36頁。
 - ^ a b 「広島安芸女子大の保健、福祉学部 佐久間学園が郡山中心部に設置へ=福島」『読売新聞』2001年10月24日、福島、東京朝刊、32頁。
 - ^ 「危機 教授リストラ、定員削減(私大サバイバル:上)」『朝日新聞』2002年3月19日、朝刊、3社会、37頁。
 - ^ 「郡山開設を撤回 立志舘大学の福祉学部など /福島」『朝日新聞』2002年10月5日、朝刊、福島1、31頁。
 - ^ a b 「存亡の岐路に立つ大学 立志舘、卒業生も出せずに休校」『読売新聞』2003年4月7日、全国版、東京朝刊、教育A、31頁。
 - ^ a b 「平女びわ湖学舎就学請求 原告の訴え棄却 地裁、守山に特定する理由ない=滋賀」『読売新聞』2005年5月24日、大阪朝刊、セ滋賀、31頁。
 - ^ 「立志舘大が4月休校へ 広島 【大阪】」『朝日新聞』2003年1月10日、夕刊、2社会、12頁。
 - ^ 「「残念」「説明を」、学生・保護者ら動揺 立志舘大が休校へ/広島」『朝日新聞』2003年1月11日、朝刊 広島1 24頁。
 - ^ キャンパスガイド - 広島文化学園大学
 - ^ “参考資料集” (PDF). 文部科学省. p. 123 (2024年5月31日). 2025年11月2日閲覧。
 - ^ 「23私大の新設を諮問 有馬朗人文相、設置審に」『朝日新聞』1998年10月16日、夕刊、2社、16頁。
 
外部リンク
固有名詞の分類
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