柔道家としての特徴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 06:04 UTC 版)
1934年に講道館が制定した女子昇段昇級規則において、女子の黒帯は帯の中央に白線の入ったものと定められたが、小崎が初段を認められた時(大日本武徳会1932年・講道館1933年)にはまだその規則はなく、また大日本武徳会の昇段審査を男性に混じって受審し男性を破って初段を取得した経緯から、小崎は生涯を通じて白線のない男性と同じ黒帯を着用し続けた。「結婚相手は柔道、子どもは女子柔道の樹立」と語り、生涯を通じて結婚はせず、黒帯取得後は指導者・道場経営者として後進の指導に専念した。 得意技については、「よく(得意技を)聞かれましたが、私の場合大きな相手を倒さねばなりません。1つ2つの技が得意でもどうにもなりません」と答えている。このため実戦では連絡技を旨とし、戦前に戸張道場の一員として出場した道場対抗戦や初段審査試合においては、男性相手に大内刈・小内刈など足技の連絡技を中心に、体落や巴投などを交えて試合を組み立てていたことを回想している。
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