松平正朝 (大草松平家)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 松平正朝 (大草松平家)の意味・解説 

松平正朝 (大草松平家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/14 12:15 UTC 版)

松平 正朝(まつだいら まさとも、生没年不詳)は、戦国時代から江戸時代初期の武将。松平康安の子。大草松平家の8代目当主。通称壱岐守善四郎 [1][2]。妻は松平近正の娘。

略歴

徳川家康に仕え、小田原の役にも参陣。慶長5年(1600年)より台徳院に仕える。関ヶ原の戦いでは上田城を攻めた(第二次上田合戦)。慶長10年(1605年)4月16日に従五位下壱岐守に叙された。大坂の陣にも供奉し、夏の陣では御書院番の小頭を務めた。元和8年(1622年)、大番頭に就任し、1000石を領する。元和9年(1623年)5月、父の遺跡を継ぎ、駿府定番となる。寛永2年(1625年)より徳川忠長に仕えるも、寛永9年(1632年)忠長が改易された際、水谷勝隆に預けられる。寛永12年(1635年)に許され、水戸藩徳川頼房に附属し家老となる[1]

参考文献

  • 『寛政重修諸家譜第一』(国民図書、1922年、138p)

脚注

  1. ^ a b 国民図書 1922, p. 138.
  2. ^ 大草松平家”. 2022年9月14日閲覧。

外部リンク

 




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  松平正朝 (大草松平家)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「松平正朝 (大草松平家)」の関連用語

松平正朝 (大草松平家)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



松平正朝 (大草松平家)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの松平正朝 (大草松平家) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS