松平正成とは? わかりやすく解説

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松平正成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/12 13:46 UTC 版)

 
松平 正成
時代 江戸時代前期
生誕 慶長14年 (1609年)
死没 寛文3年8月16日 (1663年9月17日)
改名 正成→良空(法名)
別名 内蔵助
墓所 宝祥寺
官位 従五位下大隅守、左京亮、備中守
幕府 江戸幕府旗本 小姓組番士、傅役、馬方
主君 徳川秀忠家光家綱
氏族 宮石松平家
父母 父:松平正次、母:水野近信の娘
兄弟 正成、正茂、小林信吉室、飯島弥左衛門室、正直、正友、内藤政房室
肥田正勝の娘
国領吉綱室、正勝、青木安頼室、松平直広室、大沢基房室
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松平 正成(まつだいら まさなり)は、江戸時代前期の旗本宮石松平家7代。

経歴

松平正次の長男として生まれる。寛永2年(1625年)6月7日に小姓組番士となり、廩米300俵を賜る。寛永10年(1633年)2月7日に200石を加増され、常陸国鹿島郡において500石を知行する。寛永19年(1642年)11月1日、徳川家綱附属の家臣となり、寛永20年(1643年)1月10日に布衣の着用を許される。正保4年(1647年)12月5日、武蔵国埼玉郡で300石を加増される。慶安3年(1650年)9月8日に傅役となり、9月9日より馬方を支配する。慶安4年(1651年)8月16日、従五位下大隅守に叙任される。同年11月21日に下総国匝瑳郡で500石、万治3年(1660年)12月1日に常陸国茨城郡で700石を加増され、計2000石を領する。寛文3年(1663年)8月16日、55歳で死去。

系譜

  • 父:松平正次
  • 母:水野近信の娘
  • 正室:肥田正勝の娘
    • 長男:松平正勝
  • 生母不明の子女
    • 長女:国領吉綱室
    • 次女:青木安頼室
    • 三女:松平直広室
    • 四女:大沢基房室

参考文献

  • 『寛政重修諸家譜 第一』続群書類従完成会、1964年、96-108頁。 



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