松平忠弘の再封と忠雅の襲封
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/26 10:06 UTC 版)
「山形藩」の記事における「松平忠弘の再封と忠雅の襲封」の解説
代わって再び奥平松平家の松平忠弘が直矩と入れ替わりで山形に入部した。忠弘は下野宇都宮藩、陸奥白河藩と移封を重ねたが、白河藩主時代に白河騒動と呼ばれる家臣の紛争を起こして謹慎を命じられ、山形に左遷された。忠弘は山形に移った年に家督を孫の忠雅に譲って隠居している。忠雅は幼少のためもあり、実際に山形に入部したのは元禄12年(1699年)8月だった。忠雅は元禄13年(1700年)1月に備後福山藩に転じている。
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