東郷荘下地中分絵図とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 東郷荘下地中分絵図の意味・解説 

東郷荘下地中分絵図

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/14 08:53 UTC 版)

「伯耆国河村郡東郷荘下地中分絵図」(ほうきのくにかわむらごおりとうごうのしょうしたじちゅうぶんえず)は、当時の領家と地頭が土地争いをしていた河村郡東郷荘(現在の湯梨浜町およびその周辺)について下地中分を行い、和解したことを示すために作成された絵図である[1]正嘉2年(1258年)11月成立。


注釈

  1. ^ 種頼から数えて5代目の家平が「東郷氏」を名乗ったものと考えられる[1]
  2. ^ 裏書には「東郷庄」と記載されているが、湯梨浜町の「東郷荘絵図徹底解説ガイド」[3]をはじめ、各種資料には「東郷荘」と書かれることが多い。
  3. ^ 倭文神社からは国宝に指定された堀河天皇の時代(1100年代初頭)の埋蔵経が出土した[7][8]

出典

  1. ^ a b c 東郷荘絵図”. 湯梨浜町. 2019年7月19日閲覧。
  2. ^ a b 西田友広「「伯耆国河村郡東郷荘下地中分絵図」に関する調査について」」『荘園絵図の史料学とデジタル画像解析の発展的研究』〈科研報告書〉2008年。 
  3. ^ a b c 徹底解説ガイド(表面)」、湯梨浜町、2009年。 東京大学史料編纂所(協力)
  4. ^ 8 伯耆国東郷荘下地中分絵図 (模写本)」(pdf)、東京大学史料編纂所、2019年7月19日閲覧 松尾神社主典・東房経旧蔵。
  5. ^ a b 徹底解説ガイド(裏面)」、湯梨浜町、2009年。 東京大学史料編纂所(協力)
  6. ^ “『東郷荘絵図』を「徹底ガイド」 : 湯梨浜町作成”. 日本海新聞. (2009年5月13日) 
  7. ^ 『名品綜覧 : 東洋芸術. 第1集 第3編』美術資料刊行会、大正9-12、30頁 (コマ番号3)頁。doi:10.11501/970511 
  8. ^ 『島根・出雲大社 ; 日御碕神社 ; 神魂神社 ; 鳥取・三仏寺 ; 豊乗寺 ; 倭文神社』30 (通巻1136号)、朝日新聞社〈週刊朝日百科・日本の国宝〉、1997年9月。 
  9. ^ “『東郷荘絵図』丸ごとガイド ー 湯梨浜町”. 朝日新聞. (2009年5月20日) 


「東郷荘下地中分絵図」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「東郷荘下地中分絵図」の関連用語

東郷荘下地中分絵図のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



東郷荘下地中分絵図のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの東郷荘下地中分絵図 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS