東坊城尚長
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東坊城尚長(ひがしぼうじょう なおなが、安永7年(1778年)10月22日 - 文化2年(1805年)閏8月22日) は、江戸時代中期の公卿。
官歴
- 天明7年(1787年):文章得業生
- 寛政元年(1789年):従五位下、大学頭
- 寛政3年(1791年):侍従
- 寛政4年(1792年):従五位上
- 寛政6年(1794年):少納言
- 寛政7年(1795年):正五位下
- 寛政8年(1796年):従四位下
- 寛政10年(1798年):大内記
- 寛政11年(17989年):従四位上
- 享和元年(1801年):文章博士
- 享和2年(1802年):正四位下
- 文化元年(1804年):従三位
系譜
出典
- 坂本武雄『公卿辞典』七丈書院、1944年。
- 黒板勝美『公卿補任』吉川弘文館、2000年。
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