来日から遣明使へとは? わかりやすく解説

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来日から遣明使へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 04:47 UTC 版)

宋素卿」の記事における「来日から遣明使へ」の解説

元々の名は縞。幼少の頃歌唱習っていたという。やがて倭商(日本商人)と取引始め明応5年1496年日本商人四五郎に従って日本渡り、素卿と改名してからは日本拠点置いて貿易従事する永正7年1510年、明:正徳5年)には将軍足利義澄使者として渡明し宦官劉瑾黄金千両贈り前例のない飛魚服を得たという。翌永正8年遣明船では細川船の綱司(正使となって入明した。本来の勘合貿易では明か日本国王として遇され足利将軍遣明船派遣していたが、応仁の乱将軍権力衰え細川政元ついで細川高国大内義興らが畿内権力を握ると、日明貿易船も堺商人結んだ細川家博多商人結んだ大内家の2家が主宰するようになっていた。宋素卿が綱司となったのは細川船の方であり、大内船の方は了庵圭吾勤めている。

※この「来日から遣明使へ」の解説は、「宋素卿」の解説の一部です。
「来日から遣明使へ」を含む「宋素卿」の記事については、「宋素卿」の概要を参照ください。

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