杉浦医師父子と日本住血吸虫症
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/16 08:21 UTC 版)
「風土伝承館杉浦醫院」の記事における「杉浦医師父子と日本住血吸虫症」の解説
甲府盆地の一部には、手足が痩せ細り、腹水により腹部が大きく脹れ、最終的に肝硬変などを合併し死亡する風土病があり、発病したら回復することのない原因不明の奇病として古くから恐れられていた。1913年(大正2年)にいたり、ようやくミヤイリガイを中間宿主とする日本住血吸虫が体内に侵入することが原因であることが特定された。 中巨摩郡西条村(現在の昭和町)の杉浦健造医師と健造の娘婿である三郎医師は、代々同村で開業医として多くの同病患者の治療に当たっていたが、この疾患が特定の条件下での経皮感染によってのみ罹る寄生虫病であったため、正しい知識を住民に伝え、予防が重要である事の啓蒙活動を行った。しかし感染防止のむずかしさを目の当たりにし、私財を投じてミヤイリガイの撲滅への活動を始め、これが「地方病撲滅運動」から、「山梨県地方病撲滅期成組合」の結成へとつながった。
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