杉原鐡城
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杉原 鐡城
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杉原鐡城
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生誕 | 1870年? |
死没 | 1938年(昭和13年) |
職業 | 詩人(?) 自称「未来の内閣総理大臣」 |
杉原 鐡城(すぎはら てつじょう、1872年〜1873年頃?[注釈 1] - 1938年(昭和13年)12月13日[1])は、明治時代に広島県一帯で[2]「広島の名物男」「未来の内閣総理大臣」として知られた人物[3]。彼は年中様々な人を訪れて自身が未来の内閣総理大臣になることを誓い、人々に本名ではなく「大臣」と呼ばれ笑って迎えられた[4]。別名、杉原 鉄一、杉原 義威。
人物・来歴
広島県佐伯郡宮内村(現・廿日市市)出身[3]。青年時代に伊藤博文の書生をしていた[5]。
風月吟社主宰の伊藤鴛城の門下生で[6]、文章や詩を巧みに行ったとされる[7]。また、その1年分の詩を印刷して有志に配布し、年会費1円以内を「租税」と称して徴収することを商売としていた[4]。
韓国からの帰りに厳島の弥山に登山した伊藤博文は、山上で杉原の抱負を述べた詩『登閣詩稿』を即吟した[4]。
1912年(明治45年)4月12日、広島朝鮮協会の広島朝鮮視察団の汽車に飛び乗り同行を申し込み同行する[8]。
1938年(昭和13年)12月13日、脳溢血により神戸にて急死する[1]。
著書
- 杉原鉄城 (鉄一)『葵心小草』杉原鉄城、1907年。doi:10.11501/893536。OCLC 673035127。国立国会図書館書誌ID: 000000516775 。2023年3月10日閲覧。
- 杉原鉄一名義『未来杉原内閣』杉原鉄一、1909年。doi:10.11501/783699。 OCLC 672601977。国立国会図書館書誌ID: 000000437729 。2023年3月10日閲覧。[1]
- 杉原鉄一『未来杉原内閣 続』杉原鉄一、1909年。doi:10.11501/783700。 OCLC 672601977。国立国会図書館書誌ID: 000000437729 。2023年3月10日閲覧。
- 杉原鉄一『将来日本の新内閣』杉原鉄一、1910年。doi:10.11501/783213。 OCLC 672595804。国立国会図書館書誌ID: 000000437331 。2023年3月10日閲覧。
- 杉原鉄一『世界統一策』杉原鉄一、1913年。doi:10.11501/912935。 OCLC 672815399。国立国会図書館書誌ID: 000000535327 。2023年3月10日閲覧。
- 鉄城杉原義威『鉄城詩集』寺西丹造、1921年。doi:10.11501/915948。 NCID BB26649411。 OCLC 672867266。国立国会図書館書誌ID: 000000538088 。2023年3月10日閲覧。
参考文献
- 珍物子『珍物画伝』楽山堂書房、1909年9月、109-110頁。doi:10.11501/778379。 NCID BB17070114。 OCLC 672542549。国立国会図書館書誌ID: 000000434011 。2025年2月16日閲覧。
- 広島朝鮮視察団『朝鮮視察概要』増田兄弟活版所、1913年、19頁。doi:10.11501/949772。 OCLC 673428123。国立国会図書館書誌ID: 000000565289 。2025年2月16日閲覧。
- 帝国聯合通信社『現代展望・郷土誌』(昭和10年度版 [神奈川県,北海道,広島県,山口県,福岡県])帝国聯合通信社、1935年、59-60頁。doi:10.11501/1033874。 NCID BA52989103。 OCLC 673038986。国立国会図書館書誌ID: 000000636272 。2025年2月16日閲覧。
- 関牧翁『男子百勝』毎日新聞社、1973年。doi:10.11501/12271693。 NCID BN09496104。 OCLC 672473417。国立国会図書館書誌ID: 000001238135 。2025年2月16日閲覧。
- 薄田太郎 著、薄田純一郎 編『続がんす横丁』たくみ出版、1973年。doi:10.11501/9572791。 NCID BA47641829。 OCLC 703828777。国立国会図書館書誌ID: 000001217171 。2025年2月16日閲覧。
脚注
注釈
- ^ 1909年(明治42年)9月15日発行の『珍物画伝』には「本年三十六歳」と記されている。
出典
外部リンク
固有名詞の分類
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