本田増次郎と回春病院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/15 14:31 UTC 版)
明治24年から26年4月の短い熊本滞在時に、ハンナ・リデルに会い、患者救済のために病院建設したいという理想に共鳴し、(日本聖公会はリデルの考えに前向きでなかった)御殿場にある神山復生病院訪問やベルツ博士の助言をえたり、外国人は土地を得ることができなかったので、リデルに代わり土地購入に協力したりしている。回春病院の評議員として生涯協力している。彼の娘の名、はなはハンナ・リデルから取ったといわれている。結婚後、はなは山本の助言により華子と名前を変えているが、ハンナ・リデルの後継者のライトに悩みを相談した手紙が残っている。
※この「本田増次郎と回春病院」の解説は、「本田増次郎」の解説の一部です。
「本田増次郎と回春病院」を含む「本田増次郎」の記事については、「本田増次郎」の概要を参照ください。
- 本田増次郎と回春病院のページへのリンク