キャンプ・ドレイクとは? わかりやすく解説

キャンプ・ドレイク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/13 04:12 UTC 版)

キャンプ・ドレイク: Camp Drake)は、埼玉県和光市朝霞市新座市東京都練馬区にまたがる、アメリカ陸軍第8軍団[注釈 1]隷下部隊、第一騎兵師団ウィリアム・チェイス英語版将軍)が駐屯していた基地の名称である。旧米軍朝霞(あさか)キャンプ。施設番号はFAC 3048。


注釈

  1. ^ 2009年現在、第一騎兵師団はアメリカ陸軍第3軍に編入されている。
  2. ^ 現在、青葉台公園北側(税務署入口交差点付近)の留保地となっている場所に所在した。
  3. ^ Autodin(Automatic Digital Network)のスイッチセンターとして使用されていた。かつて跡地内に残っていた「CAMP DRAKE ASC」の看板にある"ASC"とは"Autodin Switching Center"の略である。
  4. ^ 横田基地周辺にアンテナ設置として相応しい土地がないためである。
  5. ^ 現在の旧川越街道。254号バイパスは1964年東京オリンピック開催に向け建設された。
  6. ^ 軍人が身につける軍服、航空服、軍靴、鉄兜(鉄製ヘルメット)、防毒マスクなど多種類を製造しており、学徒動員による地方からの生徒などが24時間体制で従事していた。
  7. ^ 中国の都市である上海。様々な事件が起こり、治安が悪い状態を指す蔑称として使われた。
  8. ^ 正午と午後5時の一日2回ヘリ2機により交互運行された。傷病兵は沖縄から立川基地へ運ばれ、立川から朝霞へと搬送された。
  9. ^ 返還に伴う人員整理の対象となったことを動機に、日本人従業員1名がノースキャンプ内暖房施設(866号棟)に併設されていた煙突から飛び降り死亡。
  10. ^ 現在の朝霞第一中学校にあたる場所。
  11. ^ 市ヶ谷にあった陸軍士官学校本科予科としてあったものが、昭和12年に予科のみ独立。日中戦争以後入校者が大幅に増え市ヶ谷のみでは対応できなくなったことによる。建物の面積は30万平方メートルとなり、工事費は当時の値段で735万円であった。なお、当時零戦一機の価格が55.000円である。
  12. ^ 会員は皇族を含め500名程度であった。
  13. ^ 実現していれば鎌倉大仏よりも大型であった。
  14. ^ 毒ガス手榴弾や手製爆弾を使用した戦車への肉弾攻撃。訓練中に殉職者も出ている。
  15. ^ 従軍慰安婦はアメリカ国内で大きな問題となり、兵士の家族や婦人会などの猛抗議が起こる。1946年(昭和21年)3月10日をもって禁止された。
  16. ^ 円谷が1968年(昭和43年)1月9日に自らの命を絶ったのは、体育学校の一室である。

出典

  1. ^ http://www.usamcja.com/command_units.htm
  2. ^ Authority:Facilities Subcommittee Memorandum FSUS-376-1913K(AF), 19 Feb. 1976, Subject:Partial release of North Camp Asaka, FAC 3048.
  3. ^ Facilities Subcommittee Memorandum No.1458, 9 Sep. 1980, Subject:Release of a Portion of Land and Easement at Camp Asaka, FAC 3048 which was approved by the Joint Committee on 6 Nov. 1980.
  4. ^ Authority:Facilities Subcommittee Memorandum No.1634, 17 June 1982, Subject:Partial release of Camp Asaka, FAC 3048, and Fuchu Communications Station, FAC 3016, which was approved by the Joint Committee on 1 July 1982.
  5. ^ 「関東計画」の成り立ちについて” (PDF). 防衛研究所. 2023年10月24日閲覧。
  6. ^ 『あさかの歴史』P175
  7. ^ 『君たちに伝えたい 朝霞、そこは基地の街だった。』P44 - 47
  8. ^ 『目で見る 朝霞・志木・新座・和光の100年』P89
  9. ^ a b 『目で見る 朝霞・志木・新座・和光の100年』P70
  10. ^ 朝霞でも撤去運動『朝日新聞』1968年(昭和43年)3月26日夕刊 3版 11面
  11. ^ 仮処理が行なわれた後、立川基地へ搬送された。『君たちに伝えたい 朝霞、そこは基地の街だった。』P114
  12. ^ http://6thofthe31st.com/bb/viewtopic.php?t=1833
  13. ^ 『目で見る 朝霞・志木・新座・和光の100年』P88
  14. ^ 彩夏祭オフィシャルサイト
  15. ^ タワー型2棟の宿舎計画。市の推進に対し、市民側は3万人の反対署名を集め、市民投票案を提出するなど議論が紛糾している。2008年6月14日 社会新報新聞閲覧。
  16. ^ 国家公務員宿舎の削減計画のポイント
  17. ^ “朝霞市の基地跡地利用”. 朝霞市. (2016年4月1日). http://www.city.asaka.lg.jp/soshiki/2/kitiatotiriyou.html 2017年7月8日閲覧。 
  18. ^ 朝霞市基地跡地利用計画
  19. ^ 『朝霞市史』 P1216
  20. ^ a b c 朝霞駐屯地内 振武台記念館内の展示説明(2010年4月3日現在)より
  21. ^ a b 戦争で消えた幻の「朝霞大仏」 東武鉄道元社長の初代・根津嘉一郎氏の先見性に思いをはせる”. 産経ニュース (2012年9月19日). 2012年9月19日閲覧。
  22. ^ 『朝霞市史』 P1244
  23. ^ 『あさかの歴史』P181
  24. ^ 『和光市史』P556
  25. ^ 成増慰安所はグラントハイツ居住者向けである。『君たちに伝えたい 朝霞、そこは基地の街だった。』P61
  26. ^ 練習用模擬弾や通常弾頭が配備、装填されていたが、核弾頭も配備されていたと考えられている。米軍は「核兵器に関しての質問は否定も肯定もしないこと」と通達が出されていた。『君たちに伝えたい 朝霞、そこは基地の街だった。』P100
  27. ^ 練馬区史 現勢編、147ページ、練馬区史編さん協議会、1981年(昭和56年)10月
  28. ^ ”Provisional Transfer of Property, FAC 3048 (Addition), Camp Asaka", Tokyo DFAB, 21 Jan 1966.
  29. ^ Authority: Facilities Subcommittee Memo. No.541, subject: Request for Partial Release of Camp Asaka, FAC 3048, approved by the Joint Committee on 12 Oct. 1967, USARJ Form 497 approved by Commanding General, USARJ on 21 Feb. 1968, note: 1,630 sq.ft. of easement for telephone line will be retained.
  30. ^ Authority: Facilities Subcommittee Memo. No.750, 30 Nov. 1970, subject: Release of a Portion of Land at Camp Asaka, FAC 3048, approved by the Joint Committee on 10 Dec. 1970.
  31. ^ Authority: Facilities Subcommittee Memo. No.744, 27 Oct. 1970, subject: Release of a Portion of Land at Camp Asaka, FAC 3048, approved by the Joint Committee on 9 Nov. 1970.


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