最終戦でサヨナラ本塁打
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/03 05:39 UTC 版)
1968年10月11日に阪急西宮球場で行われた対東京オリオンズ最終戦(この年の阪急の公式戦最終試合)では、1-2で1点リードされた9回裏無死一塁の場面で成田文男から同点適時打を放ち、2-2の延長11回裏には成田から左翼席最前列にサヨナラ本塁打を放った。阪急はこの試合開始前の時点で南海ホークスと同率首位(79勝50敗、勝率.612)で並んでいた。南海も同日の日生球場での対近鉄バファローズ最終戦が公式戦最終試合であり、阪急・南海両チームの結果が同じだった場合プレーオフが行われる可能性があったが、西宮の試合終了から8分後に南海が敗れたため阪急がパ・リーグ2連覇を達成した。翌12日から始まった巨人との日本シリーズ第1戦は阪急が勝ち、3回に金田正一から逆転本塁打を放った矢野が賞金10万円を獲得した。シリーズ全6試合のうち5試合に四番打者として起用されるが、通算21打数2安打に終わりチーム日本一はならなかった。
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