最上 義守とは? わかりやすく解説

最上義守

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/14 07:00 UTC 版)

最上 義守(もがみ よしもり)は、出羽国戦国大名最上氏第10代当主。中野義清(よしきよ)[注釈 1]の子。最上義光の父、伊達政宗の外祖父にあたる。


注釈

  1. ^ 中野義建(よしたつ)の子で最上義淳の孫。
  2. ^ 戦火で荒廃した立石寺の大旦那となり再建に尽力し、延暦寺から不滅の法灯を得た[13]
  3. ^ 永浦尼については、永禄6年(1563年)永浦尼が息子最上義光の上洛の道中安全のため奉納したという文殊菩薩騎獅像が現存するが、義定が当主で健在であるのに出家していることから、永浦尼は義守のの姉妹との説もある[14]

出典

  1. ^ a b c 『系図纂要』『最上家譜』
  2. ^ 「伊達正統世次考」『史料総覧』9編910冊189頁。
  3. ^ 『寒河江市史 上巻』p.755-758
  4. ^ 武田喜八郎「山形・曽根家の中世文書の写本について」『山形県地域史研究』10号、1984年。
  5. ^ 『言継卿記. 第三』pp.353-354。永禄6年6月14日条。
  6. ^ 伊藤 & 山口 2002, pp. 97–99.
  7. ^ 「立石寺文書」『大日本史料』10編3冊1012頁。元亀元年正月。
  8. ^ a b 粟野敏之「戦国大名最上氏の成立過程-元亀・天正初期の内訌をめぐって-」『史学論集』10号、駒澤大学大学院史学会、1980年。/所収:竹井英文 編 『最上義光』〈シリーズ・織豊大名の研究 第六巻〉戎光祥出版、2017年、57-58頁。ISBN 978-4-86403-257-5 
  9. ^ 伊達輝宗日記/原題天正二年御日日記『大日本史料』10編20冊589頁
  10. ^ 『伊達輝宗日記』/原題天正貳年御日日記『大日本史料』10編23冊259頁。
  11. ^ 伊藤 2016, p. 42.
  12. ^ 伊藤 2016, p. 44.
  13. ^ 伊豆田忠悦「一相坊円海置文」『山形市郷土館 郷土館だより』No.54、1993年9月。
  14. ^ 粟野俊之(大本山永平寺史料全書編纂室室長)『村山民俗学会 会報』第207号、2009年。
  15. ^ a b 胡偉権「山形最上氏と中野氏・寒河江大江氏―義光のゆかりを探る」
  16. ^ 快庵良慶長光尼「高野山観音院過去帳」
  17. ^ 『奥羽永慶軍記』最上義光記念館HP、片桐繁雄、2008


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