明治3年-明治4年とは? わかりやすく解説

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明治3年-明治4年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 16:10 UTC 版)

第二丁卯」の記事における「明治3年-明治4年」の解説

明治3年4月9日(1870年5月9日)に政府献納同年5月8日(1870年6月6日)に品川沖で受領した。これにより兵部省所管となり艦名第二丁卯(艦)とされた。同年7月(1870年8月頃)に普仏戦争勃発し中立を守るために各港に小艦隊派遣されたが、第二丁卯千代田形品川留まり同地警備行った。翌明治4年3月7日(1871年4月26日)に警備解かれた。 明治4年5月(1871年6月から7月)日進、東、乾行、第二丁卯龍驤富士山第一丁卯小艦隊編制する真木長義中佐日進甲鉄、乾行、第二丁卯の4艦の指揮をとった。同年11月15日(1871年12月26日)に六等艦と定められた。

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明治3年 明治4年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 09:30 UTC 版)

千代田形」の記事における「明治3年 明治4年」の解説

明治3年2月24日(1870年3月25日)海軍操練所(後の海軍兵学寮海軍兵学校)に引き渡され練習艦として使用された。 明治3年7月(1870年8月頃)に普仏戦争勃発し中立を守るために各港に小艦隊派遣されたが、第二丁卯千代田形品川留まり同地警備行った。翌明治4年3月7日(1871年4月26日)に警備解かれた。 同年9月28日(1871年11月10日)、千代田形日進艦隊編入され11月15日(1871年12月26日)、7等艦に定められた。

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