明治期、内国勧業博覧会開催
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 15:47 UTC 版)
「新世界 (大阪)」の記事における「明治期、内国勧業博覧会開催」の解説
当時1897年(明治30年)に大阪市へ編入される以前は西成郡今宮村の一部で、畑地や荒地が広がっていた。市街化のきっかけとなったのが、1903年(明治36年)に開催された第5回内国勧業博覧会で、東に隣接する旧東成郡天王寺村の一部とともに会場敷地となった。「内国」とあるが、国内外からの最新技術が披露された点では「万博」に近いものがあり、博覧会は5ヶ月間で入場者530万人という大盛況の内に幕を閉じた。
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