旧飛行場時代の面影
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 23:39 UTC 版)
2本の滑走路のうち東西方向の横風用滑走路はアメリカ軍占領時代以降使用されなくなっていたが、1990年代前半まではどちらも航空写真などで旧日本軍時代の舗装跡をはっきり確認することができた。 しかし、「関東村」の跡地が日本国政府から払い下げられて飛行場の開発が始まると、旧滑走路や駐機場の舗装跡などは撤去された。 撤去後に改めて現在の滑走路、駐機場及びその他の付属施設を新設したため、旧飛行場の面影は現在ほとんど残っていない(詳細に探せば、ごく一部に見つけることが可能ではある)。 現在、移築保存された旧飛行場の門柱と飛行場北側に残された戦闘機用コンクリート掩体壕三つが公開されている(他にも掩体壕、対空砲砲座跡などがいくつか残っているが、個人の敷地内なので公開されていない)。
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