日本軍守備隊への攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 13:53 UTC 版)
1937年7月29日午前2時(午前3時)、冀東防共自治政府保安隊ら中国軍が通州日本軍へ攻撃を開始した。殷汝耕を捕獲し、日本軍守備隊、特務機関を襲撃、日本軍は壊滅し、また日本人居留民を襲撃し、在留日本人385名のうち223名が虐殺された(午前4時からとの説もある)。 通州の日本軍守備隊は、主力が南苑攻撃に向かっていたため留守部隊であり、藤尾小隊40名、山田自動車中隊50名、憲兵、兵站兵器部を合わせて110名程度であった。 張慶余、張硯田の両保安隊は午前二時に攻撃を開始、長官公署を襲って殷汝耕を拉致した。保安隊の装備が遥かに優れていたため、日本軍守備隊は死傷者が続出し、通州特務機関は全滅した。守備隊長藤尾心一中尉と通州特務機関長細木繁中佐も戦死した。 事件後、7月30日午後4時20分に萱島部隊が通州に到着し、治安回復と掃蕩を行った。
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